春はまだ少し遠い。雪が解け、風がやわらぎ、桜のつぼみがふくらみ始める前に、諏訪幼稚園にもひとつの変化が訪れた。先日、給食センターから「4月からうちのサービス、やめます」という静かなるお知らせ。
こうして、私たちは「新たな給食センター探し」という小さな冒険に乗り出すことになった。まるで、森の中で失われたパンを探すように。職員総出で検討会を開き、試食会を開き、栄養価をチェックし、最適な答えを議論する日々……。。
そしてついに、「ここだ!」という給食センターを見つけた。ほっと胸をなでおろす。お腹も、ついでにほっとした様子だ。
食事は文化であり、物語である
さて、食べることは単なる栄養補給ではない。むしろ、ひとつの儀式であり、文化の継承であり、日々の中の小さな物語である。子どもたちにとっては、給食は一日のハイライトであり、「好き嫌い」というドラマが展開される舞台でもある。
ここで思い出したのが、アンデルセンの『パンを踏んだ娘』。インゲルという少女が、泥に足を汚さないようにと、拾ったばかりのパンの上に足を乗せる。その瞬間、地面がぱっくりと裂け、彼女は地下の世界へと引きずり込まれる——そんな物語だ。なるほど、食べ物を粗末にすると、ろくなことがない。子どもたちには、パンひとつにも感謝する心を持ってほしい。もちろん、幼稚園の給食で地下世界に引きずり込まれることはないと思うけれど、「大切に食べる」ということの意味は、伝えたいものだ。
食べることは、学ぶこと
諏訪幼稚園は、ただ給食を提供するだけの場所ではない。食農教育プログラムのモデル校として、給食そのものを学びの一環と考えている。
たとえば、園の菜園で野菜を育てる活動。子どもたちは土を掘り、種をまき、水をやり、じっと成長を見守る。そして、収穫の瞬間を迎える。「あ、トマトが赤くなった!」「きゅうりってこんなにチクチクするの?」そんな小さな発見を積み重ねながら、自分で育てた野菜を食べることで、「食べることは生きることだ」と実感する。
「にんじん嫌い!」と叫んでいた子が、「これは僕が育てたにんじんだから」と、一口食べる瞬間。それは、小さな奇跡にほかならない。
理事長のつぶやき